創作紀行:『冬眠』『ネッカーの寝覚め』
しがない学生の東京創作紀行
*この節では,創作紀行の前座を書いているので,創作2編を読みたい方はここを飛ばして,『冬眠』『ネッカーの寝覚め』の各節に進んで欲しい。*1
友人と「変な遊び」を考えて,実際にやってみるのが休日の一つの楽しみである。例えば,
・駅名しりとり
東京メトロの駅の名前で交互にしりとりをし,なおかつ実際にその場所を訪れ,観光スポットを回る企画。計数の同期と実践した際には,「回れる上限」を調べたりもした*2。48駅が上限らしい。
・東京23区ポイントハンティング
東京23区に独断と偏見で観光スポットを定め,各区の観光大使さながら,その観光名所をTwitterにてレポートする企画。台東区の旧岩崎邸庭園,港区の東京タワーに対し,東京の東側は,真冬の荒川河川敷に登らされたり,休館の地下鉄博物館の前で佇んだりと,中々各区の色が出る企画となった。
などを敢行した。幾らかの観光代,メトロの1日乗車券*3代を合わせても,1000円+食事代程度で丸一日遊べるので,中々お得なプランだと思う*4。
さて,今回は私が最近「小説を読む」ことにはまっているので,逆に「小説を書く」立場にもなってみたい,という想いがあり,「しがない学生の東京創作紀行」と題して,東京中を「取材」して一編の短編を作ることを試みた。ルールは,以下の通りである。
創作・取材ルール
- 手番が回ってきたら,取材場所を決める。取材場所は,メトロ乗車券で到達可能な東京都内とする。
- 取材は新橋駅*5から始め,以後の移動場所はサイコロの出目により,すごろくの要領で決める*6。
- 訪れた場所で,前の物語に繋がる形で200-400字程度の短い創作を投稿する。
- プロローグのみ事前作成とし,以後は都内を取材しながら作成する。また,互いの物語についての質問は,描写の矛盾など創作に著しい影響を及ぼす場合を除き,基本的に禁止とする。
『冬眠』・『ネッカーの目覚め』とも,その取材の中で生まれた短編*7である。各章末のKやNの文字は,創作者を示す。
『冬眠』
プロローグ
僕はベッドの上で本を読んでいた。午前0時。エアコンの室外機がゴウ,ゴウと音を立てる。階段の横に佇むカエルの人形は,あるものは虚ろな目をして,ある者は物憂げな表情で見下ろしている。ああ,あれは大学時代に学園祭で買ったカエルたちか。そう思いながら僕はそっと目を閉じた。K
1
僕は朝目を覚ました。時間は午前10時。時計が狂っていたのだろうか。自分が狂っていたのだろうか。ひとまず今日も遅刻だ。高校の頃は無遅刻無欠勤で表彰されたこともある僕が,大学に入ったら遅刻魔になっている。JRを乗り継いで新橋についた。休日なのに人が多い。人,人,人。波が押し寄せる。K
2
人の波を抜けた先の,眩しい世界へやってきた。おしゃれの町として名高い表参道。普段の僕ならば滅多に足の向く場所ではないのだが,今日は友人との待ち合わせ。この町でアルバイトをしていて,バイト上がりに会う約束をしたのだった。ファッション,起業,海外旅行。
目の前の友人が語る話は,完全に別の世界のようだ。そんな別世界の住人が,今僕の目の前に座ってにこやかに語らっている。どこか不思議な感覚を抱きながら,休日の昼は過ぎていった。N
3
私は友人と別れた後,大学の研究室に戻った。卒業論文の提出まで後1ヶ月しかないので,ラストスパートの追い込みをかけている。1年間休学してどこかの授業の延長で作った高齢者の外出支援のアプリを元にベンチャーを立ち上げた。そのベンチャーが大体軌道に乗ってきたので,他の人間に任せて,自分は去年の4月に復学し,卒論を書いている。
基本的に順調に進んでいるのでこのまま提出しても良いのだが,色々と論を補完するデータを集めるために,休日も大学に通い詰めている。何かを生み出すことの快感と幸福感は何にも勝る。そういえば,あの友人とはいつ頃知り合ったのだろうか...。K
4
友人との話をしていたら昔が懐かしくなり,久しぶりに大学を覗いてみることにした。しかし相変わらず人が多い。これではまるで観光地だ。もっとも,僕がそんなことを言えた義理ではないが。しかし,いつきても威厳のある門や建物に気圧される。やはり僕には不相応な場所なのだ,と卑屈になってしまうが,今は前に進まなければいけない。沈む気持ちを抑え,僕は思い出の場所を後にした。N
5
凍てつく寒さをしのぐために,厚手のジャケットを着て,マフラーを巻く。一昨日都内でも初雪が降ったとネットで流れていたが,確かにそう聞いても驚かないくらいには寒い。けれども,私は冬の方が好きだ。夏のように素肌を焼かれることもなく,厚手の服を着ると誰かに包まれているようで,寂しさも和らぐ。何より服を着込めば着込むほど,私は私自身を隠すことができる。昨日の私は,卒論を書く学生。今日の私は,気分転換に銀座に繰り出す若者。こうやって私は私を使い分けて生きている。あの人と出会ってちょうど1年だと思いたち,今日は何か買おうとこの街に出て来たのである。K
6
僕は冬が嫌いだ。といいつつ夏もあまり好きではないのだが,夏は暑い暑いと文句を言いながらも動くことはできる。しかし冬になると物理的に縮こまって,動けなくなってしまうように感じられるのだ。ほら,原子レベルの世界だって温度が下がるとものは動かなくなるだろ,自然の摂理なんだよ。などという冗談を頭の中でつぶやきながらも,今日は無理やり自分の体を動かしている。やはり,立ち止まっているわけにはいかないのだ。
そんな風にあちこちに思考を迷走させながら,僕の身体はまっすぐに大きな繁華街にやって来た。相変わらず気乗りはしないが,このタスクだけは済ませておかなければならない。
そそくさと店を出ると,いくらかホッとした。しかし,冷たく鋭いビル風が僕を現実に引き戻して来た。まだまだ難題は立ち塞がっているのだ。でも,少しくらいは息抜きも必要か。そう思った僕は店に戻り,少しばかり高級な価格設定の喫茶店に足を踏み入れた。N
7
私は, 大通りからちょっと外れた馴染みの店に入る。ヴィトンのバッグだとか,ティファニーのネックレスだとか,ブランドものの良さは私にはわからない。むしろ,路地裏から店を発掘していくのは,アイドルのプロデューサーとか考古学者や歴史学者にも似た感動が味わえる。卒論を「東南アジアの灌漑の歴史」という農学部の中でもちょっとマニアックなテーマにしたのも,歴史学への憧れがあった。
いや,今日は卒論を書く学生じゃなく,銀座に繰り出す企業で金を稼いだ若者を演じねば。あの人に何を買おう。指輪は流石に大げさすぎるか。そういえば,私は今日マフラーを忘れたんだった。自分と色違いのマフラーを渡すのもちょっと粋だ。早速帰りにつけて帰ろう。
帰りがけに,時計を売っているお店を見つけた。大学に入ってから社会人になっても遅刻ぐせがなかなか取れない,とぼやいていたことをふと思い出す。目覚まし時計でも買ってやるかと,追加で一つ買い物リストに加えた。K
8
いつからだろう,失敗をしたときに必要以上に引く地に感じるようになってしまったのは。やはり就職活動だろうか。正直この名前を口に出すのも,頭に思い浮かべるのも不愉快極まりないのだが,自分が変わってしまったとしたら,そしてその原因を過去に求めるなら,このイベントを無視するわけにはいかないだろう。...あまり思い出したくもないのだが,ひたすら自分を否定され続けるという日々というのは端的に言って地獄でしかない。人間というのは苦痛に晒され続けるとおかしくなる生き物だ。もう深く考えるのはよそう。僕がやりたいのは過去に浸ることではなくて,未来へ進むことだ。
多分ここで大丈夫だろう。 相変わらず気後れはするが,今回ばかりは背伸びが必要なのだ。自分の中の不安を宥め,煌びやかな大都会・新宿の隅に佇む小綺麗な店の予約を取ることにした。N
9
LINEを見ると,新着のメッセージが一件あった。
「来週の日曜夜に,新宿のお店を予約してみたんだけど,一緒にいかがですか?確か空いてるって言ってたので...。」
私は一呼吸置いて,スマホの画面をもう一度眺めた。いつもだったら,こんなかしこまった文面を送ってはこない。ただならぬ雰囲気を感じる。最近仕事がうまく行っていないと聞いたから,その辺の愚痴を言いに来るのだろうか。それならいつものように「最近職場の上司が,何かと僕をバカにして来るんだよね」とか,軽い調子で会話が始まったはずだ。
あれこれ色々あらぬ思考を働かせてしまう。私の悪い癖だ。どちらにしろ色々話したかったというのもあるし,何より結構時間をかけて買ったプレゼントも渡したい。私は,LINEの送信ボタンを押した。
「いいですよ。どこに行けば良いですか...?柚月さん」K
10
努力の甲斐あって,彼女はこの時間を楽しんでくれたようだ。まずは一安心。しかも向こうからプレゼントまで貰ってしまった。中身が気になるが,開けないでと言われたので仕方ない。楽しみにしておこう。とても楽しいひと時だが,今日はここで満足してはいけない。未来へ進むのだ。それになんともくだらない話なのだが,家を出るときにいつも目に入るカエルの人形が,今日は笑っているように見えたのだ。彼らもまた,僕を応援してくれるのかもしれない。意を決した僕は,こう切り出した。
「今日はもう少し付き合っていただけますか?一緒に行きたい場所があるんです。...日坂さん。」N
11
私は冬が好きだ。暖かい服を着て自分を隠すことができる。厚手のコートを深く着て,今日はあのマフラーもつけてきた。あの時よりもすごく暖かく感じる。それは,今日マフラーをつけてきたからだけなのだろうか。
彼は冬が嫌いだと言った。冬は原子が動きにくくなるから何のと水素水の営業みたいな言い訳をつけて。本当に理系の私に何を言っているんだろう。
東京駅,行幸通り。去年工事が終わって綺麗に舗装されている。ストリートライブをやっている女の子が寒そうな服で元気に歌を歌っている。私が寒そうにしていると,彼はそっと手を握ってきた。私がプレゼントしたお揃いのマフラーをつけて。
来週末の東京は,数年ぶりに雪が積もるという。前に大雪が降ったときは家族で雪だるまを作って遊んだのを思い出す。
私は冬が好きだ。冬が終われば必ず春が来るから。K
エピローグ
僕は朝目を覚ました。時間は午前10時。時計が狂っていたのだろうか。自分が狂っていたのだろうか。ひとまず今日も遅刻だ。昨日は長い夢を見た。夢のつづきがきになるが,そうこうしていると3限のテストにも遅刻してしまう。彼らはその後どうなったのだろうかと,カエルたちに聞いて見ても答えは返ってこない。カエルなくせに答えが返らない。
日坂柚月はそんな冗談を言いながら,今日も大学に向かうのであった。K
(終)
『ネッカーの寝覚め』~Another Story~
プロローグ
僕はベッドの上で本を読んでいた。午前0時。エアコンの室外機がゴウ,ゴウと音を立てる。階段の横に佇むカエルの人形は,あるものは虚ろな目をして,ある者は物憂げな表情で見下ろしている。ああ,あれは大学時代に学園祭で買ったカエルたちか。そう思いながら僕はそっと目を閉じた。K
1
僕は朝目を覚ました。時間は午前10時。時計が狂っていたのだろうか。自分が狂っていたのだろうか。ひとまず今日も遅刻だ。高校の頃は無遅刻無欠勤で表彰されたこともある僕が,大学に入ったら遅刻魔になっている。JRを乗り継いで新橋についた。休日なのに人が多い。人,人,人。波が押し寄せる。K
2
人の波を抜けた先の,眩しい世界へやってきた。おしゃれの町として名高い表参道。普段の僕ならば滅多に足の向く場所ではないのだが,今日は友人との待ち合わせ。この町でアルバイトをしていて,バイト上がりに会う約束をしたのだった。ファッション,起業,海外旅行。
目の前の友人が語る話は,完全に別の世界のようだ。そんな別世界の住人が,今僕の目の前に座ってにこやかに語らっている。どこか不思議な感覚を抱きながら,休日の昼は過ぎていった。N
3
私は友人と別れた後,大学の研究室に戻った。卒業論文の提出まで後1ヶ月しかないので,ラストスパートの追い込みをかけている。1年間休学してどこかの授業の延長で作った高齢者の外出支援のアプリを元にベンチャーを立ち上げた。そのベンチャーが大体軌道に乗ってきたので,他の人間に任せて,自分は去年の4月に復学し,卒論を書いている。
基本的に順調に進んでいるのでこのまま提出しても良いのだが,色々と論を補完するデータを集めるために,休日も大学に通い詰めている。何かを生み出すことの快感と幸福感は何にも勝る。そういえば,あの友人とはいつ頃知り合ったのだろうか...。K
4
友人との話をしていたら昔が懐かしくなり,久しぶりに大学を覗いてみることにした。しかし相変わらず人が多い。これではまるで観光地だ。もっとも,僕がそんなことを言えた義理ではないが。しかし,いつきても威厳のある門や建物に気圧される。やはり僕には不相応な場所なのだ,と卑屈になってしまうが,今は前に進まなければいけない。沈む気持ちを抑え,僕は思い出の場所を後にした。N
5
凍てつく寒さをしのぐために,厚手のジャケットを着て,マフラーを巻く。一昨日都内でも初雪が降ったとネットで流れていたが,確かにそう聞いても驚かないくらいには寒い。けれども,私は冬の方が好きだ。夏のように素肌を焼かれることもなく,厚手の服を着ると誰かに包まれているようで,寂しさも和らぐ。何より服を着込めば着込むほど,私は私自身を隠すことができる。昨日の私は,卒論を書く学生。今日の私は,気分転換に銀座に繰り出す若者。こうやって私は私を使い分けて生きている。あの人と出会ってちょうど1年だと思いたち,今日は何か買おうとこの街に出て来たのである。K
6
僕は冬が嫌いだ。といいつつ夏もあまり好きではないのだが,夏は暑い暑いと文句を言いながらも動くことはできる。しかし冬になると物理的に縮こまって,動けなくなってしまうように感じられるのだ。ほら,原子レベルの世界だって温度が下がるとものは動かなくなるだろ,自然の摂理なんだよ。などという冗談を頭の中でつぶやきながらも,今日は無理やり自分の体を動かしている。やはり,立ち止まっているわけにはいかないのだ。
そんな風にあちこちに思考を迷走させながら,僕の身体はまっすぐに大きな繁華街にやって来た。相変わらず気乗りはしないが,このタスクだけは済ませておかなければならない。
そそくさと店を出ると,いくらかホッとした。しかし,冷たく鋭いビル風が僕を現実に引き戻して来た。まだまだ難題は立ち塞がっているのだ。でも,少しくらいは息抜きも必要か。そう思った僕は店に戻り,少しばかり高級な価格設定の喫茶店に足を踏み入れた。N
7
私は, 大通りからちょっと外れた馴染みの店に入る。ヴィトンのバッグだとか,ティファニーのネックレスだとか,ブランドものの良さは私にはわからない。むしろ,路地裏から店を発掘していくのは,アイドルのプロデューサーとか考古学者や歴史学者にも似た感動が味わえる。卒論を「東南アジアの灌漑の歴史」という農学部の中でもちょっとマニアックなテーマにしたのも,歴史学への憧れがあった。
いや,今日は卒論を書く学生じゃなく,銀座に繰り出す企業で金を稼いだ若者を演じねば。あの人に何を買おう。指輪は流石に大げさすぎるか。そういえば,私は今日マフラーを忘れたんだった。自分と色違いのマフラーを渡すのもちょっと粋だ。早速帰りにつけて帰ろう。
帰りがけに,時計を売っているお店を見つけた。大学に入ってから社会人になっても遅刻ぐせがなかなか取れない,とぼやいていたことをふと思い出す。目覚まし時計でも買ってやるかと,追加で一つ買い物リストに加えた。K
8
いつからだろう,失敗をしたときに必要以上に引く地に感じるようになってしまったのは。やはり就職活動だろうか。正直この名前を口に出すのも,頭に思い浮かべるのも不愉快極まりないのだが,自分が変わってしまったとしたら,そしてその原因を過去に求めるなら,このイベントを無視するわけにはいかないだろう。...あまり思い出したくもないのだが,ひたすら自分を否定され続けるという日々というのは端的に言って地獄でしかない。人間というのは苦痛に晒され続けるとおかしくなる生き物だ。もう深く考えるのはよそう。僕がやりたいのは過去に浸ることではなくて,未来へ進むことだ。
多分ここで大丈夫だろう。 相変わらず気後れはするが,今回ばかりは背伸びが必要なのだ。自分の中の不安を宥め,煌びやかな大都会・新宿の隅に佇む小綺麗な店の予約を取ることにした。N
9
LINEを見ると,新着のメッセージが一件あった。
「来週の日曜夜に,新宿のお店を予約してみたんだけど,一緒にいかがですか?確か空いてるって言ってたので...。」
私は一呼吸置いて,スマホの画面をもう一度眺めた。いつもだったら,こんなかしこまった文面を送ってはこない。ただならぬ雰囲気を感じる。最近仕事がうまく行っていないと聞いたから,その辺の愚痴を言いに来るのだろうか。それならいつものように「最近職場の上司が,何かと僕をバカにして来るんだよね」とか,軽い調子で会話が始まったはずだ。
あれこれ色々あらぬ思考を働かせてしまう。私の悪い癖だ。どちらにしろ色々話したかったというのもあるし,何より結構時間をかけて買ったプレゼントも渡したい。私は,LINEの送信ボタンを押した。
「いいですよ。どこに行けば良いですか...?柚月さん」K
10
努力の甲斐あって,この時間を楽しんでくれたようだ。まずは一安心。しかも向こうからプレゼントまで貰ってしまった。中身が気になるが,開けないでと言われたので仕方ない。楽しみにしておこう。とても楽しいひと時だが,今日はここで満足してはいけない。未来へ進むのだ。それになんともくだらない話なのだが,家を出るときにいつも目に入るカエルの人形が,今日は笑っているように見えたのだ。彼らもまた,僕を応援してくれるのかもしれない。意を決した僕は,こう切り出した。
「今日はもう少し付き合っていただけますか?一緒に行きたい場所があるんです。...日坂くん。」N
11
私は冬が好きだ。暖かい服を着て自分を隠すことができる。厚手のコートを深く着て,今日はあのマフラーもつけてきた。あの時よりもすごく暖かく感じる。それは,今日マフラーをつけてきたからだけなのだろうか。
彼女は冬が嫌いだと言った。冬は原子が動きにくくなるから何のと水素水の営業みたいな言い訳をつけて。本当に理系の私に何を言っているんだろう。
東京駅,行幸通り。去年工事が終わって綺麗に舗装されている。ストリートライブをやっている女の子が寒そうな服で元気に歌を歌っている。私が寒そうにしていると,彼女はそっと手を握ってきた。私がプレゼントしたお揃いのマフラーをつけて。
来週末の東京は,数年ぶりに雪が積もるという。前に大雪が降ったときは家族で雪だるまを作って遊んだのを思い出す。
私は冬が好きだ。冬が終われば必ず春が来るから。K
エピローグ
僕は朝目を覚ました。時間は午前10時。時計が狂っていたのだろうか。自分が狂っていたのだろうか。ひとまず今日も遅刻だ。昨日は長い夢を見た。夢の続きが気になるが,そうこうしていると3限のテストにも遅刻してしまう。彼らはその後どうなったのだろうかと,カエルたちに聞いて見ても答えは返ってこない。カエルなくせに答えが返らない。
日坂紫月はそんな冗談を言いながら,今日も大学に向かうのであった。K
(終)
感想戦・解説 [叙述トリックとネッカーの立方体]
以下,創作小説の重大なネタバレを含むので,本編を読んでいない方はぜひ読んでからお越しください笑
将棋や囲碁などの対局の後,「あの指し手はどうだったのか」と対局を再現しながら感想を述べあう感想戦というのが行われると聞く。
今回の創作を通じて,複数人で創作をする際は「相手の紡ぐ物語の描写を自分なりに解釈し,伏線を発見し,そこからどう新たな物語を紡ぐか」という点で,相手の一手を見極め自分の一手を指して行く,将棋や囲碁の対局にかなり近しいものを感じた。
実際,相手(N)とエピローグまで書き終えて,「せっかくだし,感想戦をやろう」ということで,いくつかお互いが考えていたプロットの発展形を披露したのである。例えば,2つの物語に関係しないエンディングとして,
- 0の「虚ろ」「物憂げ」のカエルの伏線を回収する形で,「人生に前向きになれず物憂げな僕」と「バリバリ仕事をしているが,結局自分自身を見つめきれず虚ろな私」の対比を描く
- 7のプロットを変えるのがかなり分岐点で,ここに色々な物語をつける
- 9「柚月」が苗字・名前,男・女とも取れる名前であったので,それを利用した叙述トリックを描く
などが上がった。文芸部なども小説は一人で書くことが多いのだろうから,複数人でしかも大筋を考えず気ままに発展させて行った結果,物語の複数の可能性を色々見つけることができたように思う。
...さて,ここまでくれば数少ない読者の不可抗力的なネタバレリスクを下げられたと思うので,以下,本題の2編の解説を少しばかり書き留めておこう。
『冬眠』と『ネッカーの寝覚め』は,どちらも同じ物語から徐々に分岐し派生した2つの物語である。事実,創作として変更したのは,
- 10「彼女」: 削除,「日坂さん」:「日坂くん」
- 11「彼」:「彼女」(2箇所)
- エピローグ「日坂柚月」:「日坂紫月」
の計4箇所,6文字だけである。*8しかし,この微々たる変更だけで小説の全体の様相が大きく変わったのは,本編を読んでいただいた方なら,体感?いただけたと思う。
ビジュアルノベル的なマルチエンディングは物語の最後が色々変わって行くものだが,この小説は「たった5文字の変更で最初から全て物語が書き換わりうる」ところに醍醐味があるように思う*9。
『冬眠』では,「僕」は就職活動を終え,大学学部を出て就職予定の卑屈な東大男子,「私」は起業で資金を稼ぎ,現在は卒論に熱中しつつも,少し影を見せるやり手の東大女子として描かれているが,『ネッカーの寝覚め』では,性別が逆転し「僕」が女子,「私」が男子として描かれる。おそらく,多くの人が,「僕」の一人称とその後の「卑屈な男子」と「キャリアウーマン」のわかりやすい構図に引っ張られて,『冬眠』の物語がノーマルなように感じてしまうのだろうが,「僕」を女性,「私」を男性としても,この物語はほとんど成立するのである。5文字でそれをひっくり返せるのは,小説の醍醐味とも言えよう*10。
このように「嘘は書いていないが,事実描写をぼかすことによるミスリードを行う」手法は,ミステリー作品において叙述トリックと呼ばれ,アガサ・クリスティ『アクロイド殺し』が有名だが,私自身は最近綾辻行人の『館シリーズ』の「1行でのどんでん返し」にハマっている。
今回の『ネッカーの寝覚め』の結末も,一緒に創作をした相手(N)が2章を書いてきた時点で,「これは男女を最後に逆転させたら面白いのでは」と,執筆相手にも伏せてその結末を書こうと勝手に決めていた。*11
ミステリーであれば「結末に読者がたどり着き得た伏線,あるいはミスリードの行き着く先が袋小路である伏線」を書くのが通例だが,今回はミステリーではないのでそこは大目に見ていただきたい笑*12
さて,認知科学の有名な錯視の一つに,ネッカーの立方体がある。これは,立方体を平面に描いた下の画像のようなものだが,ある時は中央右上の頂点が出っ張っているように見え,ある時は中央左下の頂点が出っ張っているように見え,一つの画像が2つの立方体を知覚させるという,興味深い錯視である。
ちょっとした見方によって,見える物語がガラリと変わる。『冬眠』が一つの立方体だとすれば,『ネッカーの寝覚め』は見方を変えれば出てくる別の立方体なのではないだろうか。
まとめ
私は,年明けから「小説」という媒体に大変興味を持っている。詳しくはもう少し言語化できたら書くつもりではいるが,今回の創作の「複数の解釈の可能性」というのも,小説の持つ魅力といえよう。作中作(いわゆる夢オチ)という形をとったのも,「もう一つの人生」としての物語の可能性に注目したかったというのがある。
科学が「真理の探求」を目指すならば,物語は「可能性の探求」を目指す,どこで読んだか忘れてしまったが,そんな話を思い出した。
補遺
各章の取材先は,サイコロの出目により,1: 新橋,2:表参道,3,4:東大前,5-7:銀座,8-10:新宿,11:東京,の各駅となっている。
*1:多分,この2作を対にして出してみようと思ったのは,東京都美術館のムンク展の『叫び』と『絶望』が,同じ構図で並べられていたのに感動した余韻があったのだろう笑:来週,感想等々を書いてみます。
*2:VBAで駅名の最長しりとりを遊んでみる - Qiita
*4:そろそろ観光会社から企画デザインを持ちかけられないかと待っているのだが(冗談)
*5:互いの都合の良い場所という以上に特に理由はない。
*6:以前,後輩から一度に3つ振れる便利なサイコロをもらったので,そのうち2つを出目のカウント,もう一つを特殊効果(同じ場所での再取材,強制乗り換え)などの設定をつけて,いわば桃鉄的要素をつけてすごろくとしても楽しむことにした。
*7:正確には,全く本質でない描写の修正を少し入れたのと,『ネッカーの目覚め』10,11の一部は事後創作である。
*8:エピローグは,別の趣向を入れるために変更したので,実質は3箇所・5文字の変更。「日坂紫月」という名から想像できるように,彼らの子供と暗示して「夢オチ」に少々アクセントを加えてみた。
*9:たかが性別だ,と思いつつも,小説を読む際は,大抵何らかの「配役」をイメージしながら読む点で,意外と面白い体験?になるような気もする
*10:男女で性を二分することは如何なものか,というLGBT関連の議論は浅学ながら少し耳に挟むが,むしろたった5文字で男女がひっくり返せる程度の危ういものなのに,「僕」=男性,「私」=女性として読んでしまう人が大半なことにジェンダーの問題を問えるのではないか,とも思っている。
*11:ちょうど最近読んだ,綾辻先生の某館のトリックの一つがそれに近い描写を使っていたのに感化されたのだと思う。
*12:「指輪を買う(7)」という描写で「私」が男性である方向に引き戻すつもりがあったが,今のご時世女性から男性に結婚指輪を渡すこともよくあるだろうので,結局中性的な表現になってしまった...。綾辻先生の300ページを1行でひっくり返す叙述トリックは,その創作力にただただ感動する。